リレーコラム もくlog

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日本の中大規模木造の始まり ~新興木構造の話~
執筆・制作者
大橋好光(東京都市大学 名誉教授)
掲載年月日
2024年4月1日

中大規模木造は「復活だ」

 「日本の中大規模木造の始まりはいつか」を特定するのは、実は難しい。なぜなら、建物でいえば東大寺大仏殿、タワーでいえば教王護国寺(東寺)の五重塔など、「かなりの中大規模木造」が昔から建てられていたからだ。東大寺大仏殿の最高高さは48.74mで、大林組が横浜に建てた11階建てポートプラス(44.1m)より高い。
 「近代的な木造」ということで、明治以降に限っても、多くの庁舎・学校建築が、筋かい軸組と木造トラス屋根の構法で建てられた。そのほとんどは建て替えられたが、保存されたり、現在、保存運動が行われているものがある。

岡山県高梁市 旧吹屋小学校

 「木造は住宅に限る」時代に建築界に入った世代には、今、「新しく中大規模木造が興った」ようにみえるが、実は「復活」なのである。

 さて、「日本人が、構造を科学的に理解して、自ら設計し始めた」を始まりと定義すれば、昭和10年(1935年)代の「新興木構造」を始まりとしても悪くはないだろう。

 話を許容応力度設計から始めよう。
 現在の許容応力度設計は、長期と短期という2つの荷重継続期間を想定して行われている。このような構造設計の手順が形成されるのには、皮肉にも日本の戦争が大きく関わっている。日本は1937年7月の盧溝橋事件で日中戦争を始め、その拡大版としての太平洋戦争が終わるまで、8年間、戦争状態にあった。
 そしてこの戦争は、建築界にも大きな影響をもたらした。
 第1は建設資材の統制で、資材が不足したことから、建築物をできるだけ材料、特に鋼材を節約して建てることが求められるようになる。1939年には100㎡を超える建築は許可制となった。そうした状況のもと、「資材の合理的使用」を目的とした「戦時規格」を作成する中で、荷重継続期間の考え方が整理された。
 更に、終戦後の1947年、戦時規格を発展させて、日本建築規格建築3001「建築物の構造計算」が作成された。この中で初めて、応力の組み合わせと許容応力度の両方に、長期と短期の概念が設定された。
 以上のように、荷重と許容応力度に「長期と短期」という概念が整理されたのは、戦争中の「資材の節約」が関係していた。
 第2はドイツとの接近である。この頃、さまざまな分野で新しい技術がドイツを通して導入されたが、木構造もその一つである。ドイツは当時もヨーロッパの木造先進地であった。また、木材は、日本国内で大量に調達できる数少ない資材の一つであったから、これを活用しようというのは自然な流れだった。
 この時期、ドイツに習って、ジベルの強度などの接合部実験や、トラス架構の構造実験などが精力的に行われた*1。研究にあたったのは、森徹、辻井静二、田邊平學、竹山謙三郎、久田俊彦らである。そうした中で、たとえば織本道三郎の「O式ジベル」などが開発された。この時期の研究は、中大規模木造の研究が進められている現代にも通用するものも多い。

新興木構造

 そして、これら2つの動きが融合して、1930年代後半、日本では中大規模木造建築の嚆矢とも位置づけられる建築群が次々と建てられた。いわゆる「新興木構造」である。
 トラスによる大スパンの建築が多い。スパン30mを超えるものも建てられた*1。この時期、これら平行弦トラスを用いた大スパンの飛行機格納庫や体育館がたくさん建設された。トラスは、部材を節約できる構造として、当時の要請に応える最適な架構形式であった。
 そして、それらの設計者が参考にした代表的な書籍が、堀口甚吉の「新興木構造学」である*3。堀口は、まえがきで、「『新興木構造學』と題してあるが『科學的木構造學』と称してもよいものである」と述べている。当時の日本の伝統構法と対比して述べているのは間違いない。

 また、「最後の章には日本及び独逸の木構造に対する建築法規(中略)を掲げて参考に供した」と述べ、事実、この本の中で引用している海外の事例建物はドイツのものばかりである。如何にドイツに傾倒してい たかが理解できる。
 更に「鉄、鋼の不足は、従来鉄骨構造、鉄筋コンクリート構造によって構造されていた大建築物も、木構造にて構造するの必要に迫られている。この要求に対し本書が幾分でも役立てば、著者の甚だ幸いとする所である」と述べている。当時の建設資材の状況をうかがい知ることができる。

竹山謙三郎の「木構造」

 また、これら戦前からの研究をまとめたのが、竹山謙三郎の「木構造」である。竹山謙三郎は、後に建築研究所の所長も務めた研究者で、久田俊彦らと建築基準法・施行令の「壁量設計」をまとめ上げた人でもある。
 ちなみに、上記「木構造」は、木構造の名著の一つで、木造を志す人には一度は見てもらいたい「お勧めの本」でもある。「戦争当時にここまでまとめられており、また、こんなに大きな木造建築が、こんなにたくさん建てられていたのか」と驚くに違いない。
 たとえば、この本には、接合部の降伏モードのような図が載せられている。現在の日本建築学会の木質構造設計規準では、曲げ降伏型接合部の設計でEYT(ヨーロッパ型降伏理論)が採用されているが、それに近い概念が、この時期既にまとめられていたことが理解できるだろう。

参考文献:
*1 竹山謙三郎、「木構造」、丸善出版、昭和26年4月
*2「京丹後市の昭和の遺産 丹後の戦跡! 峯山海軍航空隊飛行場跡」ページから(内容は、『京丹後市の近代民家と近代建築』大場修編によるとのこと)
*3 堀口甚吉、「新興木構造学」、竹原文泉社、初版昭和16年5月

  • 国土交通省
  • 林野庁
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